一般には、事故や事件に巻き込まれてその場で死ぬことを指す。具体的に「事後何分以内」などという定義があるわけではないが、よく言われるように 「瞬間に死ぬ」と言うことは現実にはありえず(何らかのプロセスを辿るには、多かれ少なかれ時間を要する)、肉体が致死的な損傷を受けることにより短時間 の間に死んだことを「即死する」と言っている。
例えば交通事故により大腿骨を損傷、大腿動脈を破損した場合、激しく出血をして、大方1分以内に失血死する。これを大抵「交通事故により即死した」と言うが、この場合でも、激しい出血によるショック状態、そしてそれに伴う意識喪失、連続した血圧低下など様々なプロセスを経ているため、決して「瞬間に」死んでいるわけではない。
飛び降り自殺により脳が壊滅的なダメージを受けて死に至ったり、極端な例では核爆発に よる強力な熱波で人が「考えるより早く」蒸発して死ぬ場合でさえ、人間の一般的な感覚からすれば確かにコンマ数秒、あるいはそれ以下の「一瞬」の時間で あっても、変化の過程をたどる以上そのための時間が必要であるため、厳密に言えば「即」「瞬間」に死に至るわけではない。
しかし交通事故の例のように事の全体、あるいは核爆発による蒸発など人間の感覚から見たらごく短時間の間に死に至った場合、便宜的に「即死」という言葉を用いるのが一般的である。
ルイズ・ド・ラヴァリエールまたはルイーズ・ド・ラ・ヴァリエール(Louise de la Vallière, 1644年8月6日 - 1710年6月7日)は、フランス王ルイ14世の寵姫。公妾。Mademoiselle de La Vallière, ラ・ヴァリエール嬢とも呼ばれていた。
1661年に、イングランド王チャールズ2世の妹ヘンリエッタ・アンが、ルイ14世の弟オルレアン公フィリップとの結婚のためフランスに向かう事になり、ルイーズは付き添いの侍女として王女に随行する事になった。しかし、ヘンリエッタの夫フィリップは男色家であり、全く妻に関心を示さなかった。新婚早々、夫から顧みられない思いをしたヘンリエッタは、やがて義兄のルイ14世と不倫関係になった。王とヘンリエッタの密会をカムフラージュするため、ルイーズが王の恋の相手を演じていた。ところが、そのうち本当にルイ14世はルイーズを恋してしまった。やがてルイーズはルイ14世の寵姫になり、1663年にシャルル、1665年にフィリップ、1666年にマリー・アンヌ(コンティ公ルイ・アルマン1世妃)を、1667年にルイを生んだ。
しかし移り気なルイ14世は、美しく無欲で慎ましく素朴だが機知に富んではいないルイーズに飽き始めていった。そして、国王の寵愛は1666年に出会ったモンテスパン公爵夫人に移っていった。
日々の苦しさについに耐えかねたルイーズは、1669年にシャイヨーにある聖母訪問会女子修道院に身を寄せた。しかし、体面を気にしたルイ14世によって再び宮殿に連れ戻された。それでもルイーズは1674年に、今度こそ安らかな信仰に生きようと、カルメル会修道院に入る事を決意した。ところが修道院長からは、この修道院は処女のみが入る事を許される修道院である、と断られてしまった。ルイーズはなおもあきらめず、その日から何日も修道院に通い続けて許可を求めた。根負けした修道院長は、ついにルイーズのカルメル会修道院入りを許可した。
1710年にルイーズは死去した。
とまぁ、ここまで引用しといてあれなんですが、自分はルイーズはマリー・テレーズの言葉のように「野に咲くスミレ」のような人物だと思っているので、ちょっと攻撃的なまとめ方だな、とは思いました。
モンテスパン夫人はかなりの激情家(というか積極的)な女性で、かつ権力欲もあるので、よくこれでルイ14世に取り入れたな、などと思っていたのですが、このころの女性は政治的な知識も持っていないと、上に上がっていくことはできないご時世ですからね。ルイーズはひたむきに王を一人の男性として愛していたために、権力などどうでもよかったんでしょうね。
ルイーズとルイ14世のエピソードで心温まるものを一つ。
ある日、ルイーズとルイ14世が些細なことで喧嘩をします。
いつもはすぐに王が謝罪の手紙を送って、すぐに何事もなかったかのように仲直りするのですが、その日はいつまでたっても王からの手紙が来ませんでした。
錯乱したルイーズは宮殿を抜け出し、開け方だというのに修道院のドアを狂ったようにノックします。そして出てきた修道女に一言。
「私を修道女にして!」
一方同じころ、王は夜中にルイーズがいなくなったことを部下から知らされます。
「昨日は仕事が忙しくて手紙を送らなかったが、まさかそのことで思いつめて……?」
いても経ってもいられなくなった王は、部下の制止も無視し、まだ朝もやの残る城下町を馬で全力疾走します。
供も付き従えることなく駆け抜けていく王の姿に、もちろん人々は仰天します。
王は修道女に詰め寄るルイーズを認め、馬から降りて彼女に近づくと、周りの目を気にすることなく、跪いて彼女の手にキスをしました。
「私が悪かった。帰ってきておくれ」
「私の方こそ、つまらないことで怒ってしまって申し訳ありません」
「もうどこにも行ってはいけないよ」
「ええ、ええ、決して」
二人は王の乗ってきた馬に乗り込むと、仲良く城へと戻って行ったそうです。
一言で言います。萌えた。
ちょっとルイ14世がいい人に見えてきませんか?(笑)
ちなみにルイーズは、「ゼロの使い魔」のヒロイン「ルイーズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール」のモデルなんですってね。原作見たことないんですが。
ルイーズは無欲な寵姫だったということが少しでも伝わればこれ幸い。
以下は、『幻獣辞典』(※著者……ホルヘ=ルイス=ボルヘス。アルゼンチン、ブエノスアイレス生まれの小説家、詩人)からうかがわれるア・バオ・ア・クゥーの伝承である。
『幻獣辞典』では、ア・バオ・ア・クゥーの特性として、身体全体でものを見ることができる、触れると桃の皮のような手触りをした皮膚を持つ、と伝えている。
自分がア・バオ・ア・クゥーを初めて知ったのは、安西信行先生の漫画「MAR」でだったような気がします。
……ん?それともブラックキャットの方だっただろうか。ちょっと記憶があいまいです。
自分はMARのア・バオ・ア・クゥーの印象がめちゃくちゃ強いので、すごく凶悪な生き物であるという先入観があります。でも伝承には、肌の手触りだけは書いてあるのですが、詳しい外見については載っているものがないみたいです。MARでは思いっきりでかくて凶悪な存在だったのですが、自分は小さな蟲のような生き物を想像します。そうでないと踵にくっついてなんて歩けないと思います。
余談ですが、涅槃というのは噛み砕いていえば「悟りを開いた状態」のことだそうな(正確には涅槃静寂というらしいですが)。よく間違えて使われているような気がしますが、輪廻≠涅槃です。輪廻は巡り巡って戻ってくるものなのに対し、涅槃は悟りを開くから戻れないのだと考えればよろしいかと。
というものである。
一番下はなんという典型的なパターン。テレビとかで犯人が人質を拉致する際には、必ずと言っていいほど使われますよね。自分もよく見ます。
でも、実際にクロロホルムを使って人を眠らせようとする場合には、嗅がせた瞬間に眠りに落ちるなんていうことはまずあり得ないそうな。ハンカチ等にしみこませるだけの量ではせいぜい軽い頭痛や吐き気を催すので精いっぱいだそうです。本当に瞬間的に眠らせたい場合にはもっと大量に使用する必要がありますが、大量に使用したら使用下で、使われた方は眠ったまましんでしまうこともあるようです。
ちなみになぜハンカチで塞ぐだけで意識が飛んでしまうのかというと、単純に酸欠である場合が多いようです。布で覆われるから意識が途切れるって、それクロロホルム使う必要ないですよね。クロロホルムは揮発性もかなり高いので、しみこませてもすぐに昇華されてしまうのも問題だと思います。
では、クロロホルムよりも早く眠れる物質はないのか。有ります。
その名も「亜酸化窒素」。別名笑気ガス。(一酸化二窒素とも)
吸引すると、顔が笑ったようにひきつることから来ているそうです。要するにとっても危険なもの。
主に医療用で使われ、必ず医療用酸素と一緒に吸引されます。(亜酸化窒素だけで吸引すると、酸素が全く吸引されない状態になるため非常に危険。場合によっては死亡します)
入手方法は「医療用ガス販売」で手に入れられます。バイクなどに使われているらしいです。(あまりバイクのことには詳しくないので申し訳ない)特にライセンス党は必要ないみたいです。
ですが非常に危険な麻酔薬なので、人体には決して使用しないように!
バスタードソード(Bastard Sword)は、両手、片手持ちの両用の剣。片手半剣(Hand and a half Sword)と呼ばれる剣に含まれる。
長さが120cm~140cmくらいと普通の剣より長くなっている。
バスタードは、Busterd(破壊者)というつづりではなく、Bastard(雑種・私生児)の方で、片手、両手の雑種という説と、切るゲルマン系の剣と突くラテン系の剣の雑種であるという説がある。
凡庸性に富んでいて使い勝手がよさそうに聞こえるが、握りがどちらでもいい様に中途半端に長くなっている為バランスが普通の剣と違い、慣れるまで修練が必要になる。
恥ずかしながら、バスタードソードとクレイモアの区別がつかなかった人間です。
バスタードソードをふるったのは13世紀ごろの騎士たち。この剣の最大の特徴は、腰に吊る下げて運ぶことができるということらしく、当時の騎士たちにとっては「吊るして運べる」ということだけでも大きなステータスだったらしいです。なにせプライドとメンツを重んじる中世の騎士たちですから。
両手で使えるということは、片手に盾を持って使用することもできるということですよね。普段は盾を持って的に突撃し、いざという時には盾を捨てて両手で重い一撃を加えることができるということです。
ちなみに最初の方でちょろっといったクレイモアは両手剣(ツーハンドソード)に分類され、これは完全に両手でしか扱うことができない剣になっています。
要は
・バスタードソード=「両手でも使える」
・ツーハンドソード=「両手でしか使えない」
と覚えておけばいいかと。
「主の祈り」
天にまします我らの父よ
願わくは御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたまえ
御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、
我らの罪をも赦したまえ
我らを試みにあわせず、悪より救い出したまえ
国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり
アーメン
ご存じ、キリスト教の代表的な祈祷文「主の祈り」。キリスト教徒の方々がまず暗記する代表的なものでしょう。
ちなみに上の主の祈りはプロテスタント訳だそうで、ほかにもカトリック教会の文語訳等があるそうな。
最初の3つの祈り(3~5行)は神と天上に関する祈り、次の3つの祈り(6~8行)は人間と地上に関する祈りであり、9行目は福音書には見られず、後に付け加えられたと考えられているもので、一種の頌栄と考えられている……ということです。
ちなみに英語訳↓
Our Father in heaven,
hallowed be your Name,
your kingdom come,
your Will be done on earth as in hearven.
Give us today our daily bread.
Forgive us our sins as we forgive those who sin against us.
Lead us not into the temptation,
but deliver us from evil For the kingdom,
the power, and the glory are yours now and forever.
Amen
イタリア語訳↓
Padre nostro, che sei nei cieli
sia santificato il tuo nome
venga il tuo regno
sia fatta la volonta
come in cielo cosi in terra
Dacci oggi il nostro pane quotidiano
e rimetti a noi i nostri debiti
come noi li rimettiamo ai nostri debitori
e non ci indurre in tentazzione
ma liveraci dal male
(パードレ ノストロ、 ケ セイ ネイ チエーリ
スィア サンティフィカート イル トゥオ ノーメ
ヴェンガ イル トゥオ レーニョ
スィア ファッタ ラ ヴォロンタ
コメ イン チエーロ コズィ イン テッラ
ダッチ オッジ イル ノストロ パーネ クゥオティディアーノ
エ リメッティ ア ノーイ イ ノストリ デービティ
コメ ノーイ リ リメッティアーモ アイ ノストリデビトーリ
エ ノン チ インドゥッレ イン テンタツィオーネ
マ リーヴェラチ ダル マーレ
アーメン)
フランス語訳↓
Notre Pere qui es aux cieux,
que ton nom soit sanctifie,
que ton regne vienne,
que ta volonte soit faite,
sur la terre comme au ciel.
Donne-nous aujourd'hui notre pain de ce jour.
Pardonne-nous nos offenses,
comme nous pardonnons aussi
a ceux qui nous ont offenses.
Et ne nous soumets pas a la tentation,
mais delivres-nous du Mal.
Car c'est a toi qu'appartiennent le regne, la puissance et la gloire,
aux siecles des siecles. AMEN
(日本語訳が分らんです。わかったら追加します)
お次はドイツ語訳↓
Vater unser im Himmel,
geheiligt werde dein Name.
Dein Reich komme.
Dein Wille geschehe,
wie im Himmel, so auf Erden.
Unser tägliches Brot gib uns heute.
Und vergib uns unsere Schuld,
wie auch wir vergeben unsern Schuldigern.
Und führe uns nicht in Versuchung,
sondern erlöse uns von dem Bösen.
(Denn dein ist das Reich und die Kraft und die Herrlichkeit in Ewigkeit. Amen.)
(ファーター・ウンザー・イム・ヒメル、
ゲハイリヒト・ヴェーアデ・ダイン・ナーメ、
ダイン・ライヒ・コメ、
ダイン・ヴィレ・ゲシェーエ、
ヴィー・イム・ヒメル、ゾー・アオフ・エーアデン。
ウンザー・テークリヒェス・ブロート・ギープ・ウンス・ホイテ。
ウント・フェアギープ・ウンス・ウンゼレ・シュルト、
ヴィー・アオホ・ヴィーア・フェアゲーベン・ウンザーン・シュルディガーン。
ウント・フューレ・ウンス・ニヒト・イン・フェアズーフング、
ゾンダーン・エアレーゼ・ウンス・フォン・デム・ベーゼン。
(デン・ダイン・イスト・ダス・ライヒ・ウント・ディー・クラフト・ウント・ディー・ヘルリヒカイト・イン・エーヴィヒカイト。アーメン。))
最後はラテン語訳↓
「かなりや」 西條八十
唄(うた)を忘れた金糸雀(かなりや)は
後ろの山に棄てましょか
いえ いえ それはなりませぬ
唄を忘れた金糸雀は
背戸(せど)の小藪(こやぶ)に埋(い)けましょか
いえ いえ それはなりませぬ
唄を忘れた金糸雀は
柳の鞭でぶちましょか
いえ いえ それはかわいそう
唄を忘れた金糸雀は 象牙の船に 金の櫂(かい)
月夜の海に浮かべれば 忘れた唄をおもいだす
「海のかなりや」 西條八十
唄(うた)を忘れた
金糸雀(かなりや)は、
赤い緒紐(おひも)で
くるくると
縛(いまし)められて
砂の上。
かはいさう(かわいそう)にと
妹が
涙ぐみつ、
解いてやる、
夕顔いろの
指さきに
短い海の
日がくれる
個人的には海のかなりやの方が好き。
そもそもかなりやと、海のかなりやは同種だと思ってた人間ですから。
gooで見掛けたかなりやの解釈がとても素敵でしたので、興味がある方はぜひ。
西條八十が好きすぎます。好きすぎて詩集買いました。ホクホクです。
自分が何よりも尊敬するかたです。この人の詩は音が綺麗。日本人て五・七・五の音が一番心地いいらしいですね。私は典型的な五七五大好き人間なので、梯子とか蝶とか、好きな詩をあげたらキリがなくなります。
本当は全集が欲しいんですが五万は痛いです。五万あったら先に写真屋買います。もうすぐ割引効かなくなるので。