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ブログ 日々の覚書とかどうでもいいメモとかそういう類のもの(の予定)
24 . June
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04 . February
即死とは、何かあった際に人が即時に死亡することである。

一般には、事故や事件に巻き込まれてその場で死ぬことを指す。具体的に「事後何分以内」などという定義があるわけではないが、よく言われるように 「瞬間に死ぬ」と言うことは現実にはありえず(何らかのプロセスを辿るには、多かれ少なかれ時間を要する)、肉体が致死的な損傷を受けることにより短時間 の間に死んだことを「即死する」と言っている。

例えば交通事故により大腿骨を損傷、大腿動脈を破損した場合、激しく出血をして、大方1分以内に失血死する。これを大抵「交通事故により即死した」と言うが、この場合でも、激しい出血によるショック状態、そしてそれに伴う意識喪失、連続した血圧低下など様々なプロセスを経ているため、決して「瞬間に」死んでいるわけではない。

飛び降り自殺により脳が壊滅的なダメージを受けて死に至ったり、極端な例では核爆発に よる強力な熱波で人が「考えるより早く」蒸発して死ぬ場合でさえ、人間の一般的な感覚からすれば確かにコンマ数秒、あるいはそれ以下の「一瞬」の時間で あっても、変化の過程をたどる以上そのための時間が必要であるため、厳密に言えば「即」「瞬間」に死に至るわけではない。

しかし交通事故の例のように事の全体、あるいは核爆発による蒸発など人間の感覚から見たらごく短時間の間に死に至った場合、便宜的に「即死」という言葉を用いるのが一般的である。




というか、懊悩している人間の感性とかを全部すっ飛ばして「即死」と一言で片付けられるのが怖い。
何か考える暇もなく死んだら、それはそれで凄く怖いことなのだと思う。
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20 . March

ルイズ・ド・ラヴァリエールまたはルイーズ・ド・ラ・ヴァリエール(Louise de la Vallière, 1644年8月6日 - 1710年6月7日)は、フランス王ルイ14世の寵姫。公妾。Mademoiselle de La Vallière, ラ・ヴァリエール嬢とも呼ばれていた。

1661年に、イングランド王チャールズ2世の妹ヘンリエッタ・アンが、ルイ14世の弟オルレアン公フィリップとの結婚のためフランスに向かう事になり、ルイーズは付き添いの侍女として王女に随行する事になった。しかし、ヘンリエッタの夫フィリップは男色家であり、全く妻に関心を示さなかった。新婚早々、夫から顧みられない思いをしたヘンリエッタは、やがて義兄のルイ14世と不倫関係になった。王とヘンリエッタの密会をカムフラージュするため、ルイーズが王の恋の相手を演じていた。ところが、そのうち本当にルイ14世はルイーズを恋してしまった。やがてルイーズはルイ14世の寵姫になり、1663年にシャルル、1665年にフィリップ、1666年にマリー・アンヌ(コンティ公ルイ・アルマン1世妃)を、1667年にルイを生んだ。
しかし移り気なルイ14世は、美しく無欲で慎ましく素朴だが機知に富んではいないルイーズに飽き始めていった。そして、国王の寵愛は1666年に出会ったモンテスパン公爵夫人に移っていった。

日々の苦しさについに耐えかねたルイーズは、1669年にシャイヨーにある聖母訪問会女子修道院に身を寄せた。しかし、体面を気にしたルイ14世によって再び宮殿に連れ戻された。それでもルイーズは1674年に、今度こそ安らかな信仰に生きようと、カルメル会修道院に入る事を決意した。ところが修道院長からは、この修道院は処女のみが入る事を許される修道院である、と断られてしまった。ルイーズはなおもあきらめず、その日から何日も修道院に通い続けて許可を求めた。根負けした修道院長は、ついにルイーズのカルメル会修道院入りを許可した。
1710年にルイーズは死去した。


とまぁ、ここまで引用しといてあれなんですが、自分はルイーズはマリー・テレーズの言葉のように「野に咲くスミレ」のような人物だと思っているので、ちょっと攻撃的なまとめ方だな、とは思いました。
モンテスパン夫人はかなりの激情家(というか積極的)な女性で、かつ権力欲もあるので、よくこれでルイ14世に取り入れたな、などと思っていたのですが、このころの女性は政治的な知識も持っていないと、上に上がっていくことはできないご時世ですからね。ルイーズはひたむきに王を一人の男性として愛していたために、権力などどうでもよかったんでしょうね。

ルイーズとルイ14世のエピソードで心温まるものを一つ。
ある日、ルイーズとルイ14世が些細なことで喧嘩をします。
いつもはすぐに王が謝罪の手紙を送って、すぐに何事もなかったかのように仲直りするのですが、その日はいつまでたっても王からの手紙が来ませんでした。
錯乱したルイーズは宮殿を抜け出し、開け方だというのに修道院のドアを狂ったようにノックします。そして出てきた修道女に一言。
「私を修道女にして!」
一方同じころ、王は夜中にルイーズがいなくなったことを部下から知らされます。
「昨日は仕事が忙しくて手紙を送らなかったが、まさかそのことで思いつめて……?」
いても経ってもいられなくなった王は、部下の制止も無視し、まだ朝もやの残る城下町を馬で全力疾走します。
供も付き従えることなく駆け抜けていく王の姿に、もちろん人々は仰天します。
王は修道女に詰め寄るルイーズを認め、馬から降りて彼女に近づくと、周りの目を気にすることなく、跪いて彼女の手にキスをしました。
「私が悪かった。帰ってきておくれ」
「私の方こそ、つまらないことで怒ってしまって申し訳ありません」
「もうどこにも行ってはいけないよ」
「ええ、ええ、決して」
二人は王の乗ってきた馬に乗り込むと、仲良く城へと戻って行ったそうです。
一言で言います。萌えた。
ちょっとルイ14世がいい人に見えてきませんか?(笑)

ちなみにルイーズは、「ゼロの使い魔」のヒロイン「ルイーズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール」のモデルなんですってね。原作見たことないんですが。
ルイーズは無欲な寵姫だったということが少しでも伝わればこれ幸い。

15 . March
ア・バオ・ア・クゥー(A Bao A Qu)とは、インド、ラジャスターン地方に伝えられている幻獣。

以下は、『幻獣辞典』(※著者……ホルヘ=ルイス=ボルヘス。アルゼンチン、ブエノスアイレス生まれの小説家、詩人)からうかがわれるア・バオ・ア・クゥーの伝承である。

「勝利の塔」には、屋上のテラスへ通じる螺旋階段がある。
この塔の最下層には、目には見えないが幻獣……即ちア・バオ・ア・クゥーが眠っており、螺旋階段を上り始める者が現れると目を覚ます。人間の影に敏感なア・バオ・ア・クゥーはその人間のかかとを捕らえて、螺旋階段の外側をその者に付き添って登っていく。透明であったその姿は一段上るごとに色と輝きを増していき、最上段まで登ったとき、ア・バオ・ア・クゥーは完全な姿を現す。
しかし「勝利の塔」を登り切った人間は涅槃に達することができると言われており、そうなれば、その者はいかなる影も落とすことはない。つまり、ア・バオ・ア・クゥーはその人間を捉えて最上段へ上ることはできない。
完全な姿になれなかったア・バオ・ア・クゥーは苦痛にさいなまれ、色も輝きも身体も衰えていく。
まして、上っていた人間が踵を返して下り始めれば、ア・バオ・ア・クゥーはたちまち最下層まで転がり落ちて倒れ伏してしまう。
かくしてア・バオ・ア・クゥーは、「勝利の塔」の最下層で訪問者を待ち続けているのである。これまでに、ア・バオ・ア・クゥーが最上段まで上りきったことは一度しかないと言われている。

『幻獣辞典』では、ア・バオ・ア・クゥーの特性として、身体全体でものを見ることができる、触れると桃の皮のような手触りをした皮膚を持つ、と伝えている。


自分がア・バオ・ア・クゥーを初めて知ったのは、安西信行先生の漫画「MAR」でだったような気がします。
……ん?それともブラックキャットの方だっただろうか。ちょっと記憶があいまいです。
自分はMARのア・バオ・ア・クゥーの印象がめちゃくちゃ強いので、すごく凶悪な生き物であるという先入観があります。でも伝承には、肌の手触りだけは書いてあるのですが、詳しい外見については載っているものがないみたいです。MARでは思いっきりでかくて凶悪な存在だったのですが、自分は小さな蟲のような生き物を想像します。そうでないと踵にくっついてなんて歩けないと思います。

余談ですが、涅槃というのは噛み砕いていえば「悟りを開いた状態」のことだそうな(正確には涅槃静寂というらしいですが)。よく間違えて使われているような気がしますが、輪廻≠涅槃です。輪廻は巡り巡って戻ってくるものなのに対し、涅槃は悟りを開くから戻れないのだと考えればよろしいかと。

11 . March
カルタグラ(CARTAGRA)とは“魂の苦悩”の意。
十六世紀、イギリスの学者であり政治家であったレギナルド・スコットが「煉獄」の代わりに使用した言葉。
この言葉自体は彼の造語であり、付け加えるならば、彼は魔女や悪魔の存在を否定した人で、そういったものは人の虚言や妄想によった幻想であり、なおかつ受け手側の集団的偏執や精神混乱であるとした。
彼はのちに、魔女の力と悪魔の実在を整然と否定する英語での書物、『妖術の暴露』を著した。

ちょっとパソコンの調子が悪いので、あまり長々としたメモはできそうにないです。申し訳ない。
そもそも煉獄とは何かというと、ダンテが著した「神曲」に出てくる、言わば地獄と天国の間にある、贖罪の地です。死者の魂はここで生前の罪を悔い改め、清めてから天国へ向かうことになるのです。
神曲については書きません。書き始めると絶対長くなるのが丸わかりです。ついでに自分は地獄篇が一番好きです。煉獄篇は地獄篇と比べて食材をテーマにしているので結構明るめですが、もともと自分の思考がそう明るくないのか、地獄篇の方が親しみやすかったりします。
……と、新曲の話はとめどないので切ります。
カルタグラという言葉にはセンスを感じます。が、自分は魔女も悪魔も幻想の世界の住人だとは思っていますが、その考えが精神薄弱に結びつくのは納得できないので、この思考には賛成できません。
人間って弱い生き物だもの。現実から乖離して妄想の世界へ浸かったっていいじゃない。
07 . March
クロロホルム (chloroform) は化学式 CHCl3 で表されるハロゲン化アルキルの一種である。IUPAC名はトリクロロメタン (trichloromethane) であり、トリハロメタンに分類される。広範囲で溶媒や溶剤として利用されている。
常温では無色で、甘い味を有し、強く甘い芳香をもつ液体である。多くの有機化合物をよく溶解する。 光や酸素の存在下で比較的容易に分解され、有害ガスであるホスゲンを発生する。また高温下でも分解が進行する。このため一般的な市販品には安定剤としてアルコール(主にメタノール、エタノール)やアミレンが添加されている。
麻酔作用があることは一般にも有名であり、テレビドラマや推理小説、あるいは漫画などで頻繁に登場する。典型的なシーンは、
  1. クロロホルムを数滴ハンカチにしみこませる。
  2. 後ろから被害者にこっそり近づき、鼻と口をおさえる。
  3. 被害者は抵抗するが、すぐぐったりとして寝てしまう。
  4. 次の場面で被害者は頭痛と共に目覚める。

というものである。


一番下はなんという典型的なパターン。テレビとかで犯人が人質を拉致する際には、必ずと言っていいほど使われますよね。自分もよく見ます。
でも、実際にクロロホルムを使って人を眠らせようとする場合には、嗅がせた瞬間に眠りに落ちるなんていうことはまずあり得ないそうな。ハンカチ等にしみこませるだけの量ではせいぜい軽い頭痛や吐き気を催すので精いっぱいだそうです。本当に瞬間的に眠らせたい場合にはもっと大量に使用する必要がありますが、大量に使用したら使用下で、使われた方は眠ったまましんでしまうこともあるようです。
ちなみになぜハンカチで塞ぐだけで意識が飛んでしまうのかというと、単純に酸欠である場合が多いようです。布で覆われるから意識が途切れるって、それクロロホルム使う必要ないですよね。クロロホルムは揮発性もかなり高いので、しみこませてもすぐに昇華されてしまうのも問題だと思います。

では、クロロホルムよりも早く眠れる物質はないのか。有ります。
その名も「亜酸化窒素」。別名笑気ガス。(一酸化二窒素とも)
吸引すると、顔が笑ったようにひきつることから来ているそうです。要するにとっても危険なもの。
主に医療用で使われ、必ず医療用酸素と一緒に吸引されます。(亜酸化窒素だけで吸引すると、酸素が全く吸引されない状態になるため非常に危険。場合によっては死亡します)
入手方法は「医療用ガス販売」で手に入れられます。バイクなどに使われているらしいです。(あまりバイクのことには詳しくないので申し訳ない)特にライセンス党は必要ないみたいです。
ですが非常に危険な麻酔薬なので、人体には決して使用しないように!
 

02 . March

バスタードソード(Bastard Sword)は、両手、片手持ちの両用の剣。片手半剣(Hand and a half Sword)と呼ばれる剣に含まれる。
長さが120cm~140cmくらいと普通の剣より長くなっている。
バスタードは、Busterd(破壊者)というつづりではなく、Bastard(雑種・私生児)の方で、片手、両手の雑種という説と、切るゲルマン系の剣と突くラテン系の剣の雑種であるという説がある。
凡庸性に富んでいて使い勝手がよさそうに聞こえるが、握りがどちらでもいい様に中途半端に長くなっている為バランスが普通の剣と違い、慣れるまで修練が必要になる。

恥ずかしながら、バスタードソードとクレイモアの区別がつかなかった人間です。
バスタードソードをふるったのは13世紀ごろの騎士たち。この剣の最大の特徴は、腰に吊る下げて運ぶことができるということらしく、当時の騎士たちにとっては「吊るして運べる」ということだけでも大きなステータスだったらしいです。なにせプライドとメンツを重んじる中世の騎士たちですから。
両手で使えるということは、片手に盾を持って使用することもできるということですよね。普段は盾を持って的に突撃し、いざという時には盾を捨てて両手で重い一撃を加えることができるということです。
ちなみに最初の方でちょろっといったクレイモアは両手剣(ツーハンドソード)に分類され、これは完全に両手でしか扱うことができない剣になっています。
要は
・バスタードソード=「両手でも使える」
・ツーハンドソード=「両手でしか使えない」
と覚えておけばいいかと。

24 . February

「主の祈り」
天にまします我らの父よ
願わくは御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたまえ
御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、
我らの罪をも赦したまえ
我らを試みにあわせず、悪より救い出したまえ
国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり
アーメン


ご存じ、キリスト教の代表的な祈祷文「主の祈り」。キリスト教徒の方々がまず暗記する代表的なものでしょう。
ちなみに上の主の祈りはプロテスタント訳だそうで、ほかにもカトリック教会の文語訳等があるそうな。
最初の3つの祈り(3~5行)は神と天上に関する祈り、次の3つの祈り(6~8行)は人間と地上に関する祈りであり、9行目は福音書には見られず、後に付け加えられたと考えられているもので、一種の頌栄と考えられている……ということです。

ちなみに英語訳↓

Our Father in heaven,
hallowed be your Name,
your kingdom come,
your Will be done on earth as in hearven.
Give us today our daily bread.
Forgive us our sins as we forgive those who sin against us.
Lead us not into the temptation,
but deliver us from evil For the kingdom,
the power, and the glory are yours now and forever.
Amen


イタリア語訳↓

Padre nostro, che sei nei cieli
sia santificato il tuo nome
venga il tuo regno
sia fatta la volonta
come in cielo cosi in terra
Dacci oggi il nostro pane quotidiano
e rimetti a noi i nostri debiti
come noi li rimettiamo ai nostri debitori
e non ci indurre in tentazzione
ma liveraci dal male

(パードレ ノストロ、 ケ セイ ネイ チエーリ
スィア サンティフィカート イル トゥオ ノーメ
ヴェンガ イル トゥオ レーニョ
スィア ファッタ ラ ヴォロンタ
コメ イン チエーロ コズィ イン テッラ
ダッチ オッジ イル ノストロ パーネ クゥオティディアーノ
エ リメッティ ア ノーイ イ ノストリ デービティ
コメ ノーイ リ リメッティアーモ アイ ノストリデビトーリ
エ ノン チ インドゥッレ イン テンタツィオーネ
マ リーヴェラチ ダル マーレ
アーメン)


フランス語訳↓

Notre Pere qui es aux cieux,
que ton nom soit sanctifie,
que ton regne vienne,
que ta volonte soit faite,
sur la terre comme au ciel.

Donne-nous aujourd'hui notre pain de ce jour.
Pardonne-nous nos offenses,
comme nous pardonnons aussi
a ceux qui nous ont offenses.
Et ne nous soumets pas a la tentation,
mais delivres-nous du Mal.
Car c'est a toi qu'appartiennent le regne, la puissance et la gloire,
aux siecles des siecles. AMEN

(日本語訳が分らんです。わかったら追加します)


お次はドイツ語訳↓

Vater unser im Himmel,
geheiligt werde dein Name.
Dein Reich komme.
Dein Wille geschehe,
wie im Himmel, so auf Erden.
Unser tägliches Brot gib uns heute.
Und vergib uns unsere Schuld,
wie auch wir vergeben unsern Schuldigern.
Und führe uns nicht in Versuchung,
sondern erlöse uns von dem Bösen.
(Denn dein ist das Reich und die Kraft und die Herrlichkeit in Ewigkeit. Amen.)

(ファーター・ウンザー・イム・ヒメル、
ゲハイリヒト・ヴェーアデ・ダイン・ナーメ、
ダイン・ライヒ・コメ、
ダイン・ヴィレ・ゲシェーエ、
ヴィー・イム・ヒメル、ゾー・アオフ・エーアデン。
ウンザー・テークリヒェス・ブロート・ギープ・ウンス・ホイテ。
ウント・フェアギープ・ウンス・ウンゼレ・シュルト、
ヴィー・アオホ・ヴィーア・フェアゲーベン・ウンザーン・シュルディガーン。
ウント・フューレ・ウンス・ニヒト・イン・フェアズーフング、
ゾンダーン・エアレーゼ・ウンス・フォン・デム・ベーゼン。
(デン・ダイン・イスト・ダス・ライヒ・ウント・ディー・クラフト・ウント・ディー・ヘルリヒカイト・イン・エーヴィヒカイト。アーメン。))



最後はラテン語訳↓
 

Pater noster, qui in caelis es,
sanctificetur nomen tuum,
veniat regnum tuum,
fiat voluntas tua,
sicut in caelo, et in terra.
panem nostrum supersubstantialem da nobis hodie;
et dimitte nobis debita nostra,
sicut et nos dimisimus debitoribus nostris;
et ne inducas nos in temptationem,
sed libera nos a malo.

(パテル・ノステル、クィー・イン・カエリース・エス、
サーンクティフィケートゥル・ノーメン・トゥウム、
ウェニアト・レーグヌム・トゥウム、
フィーアト・ウォルンタース・トゥア、
スィークト・イン・カエロー、エト・イン・テッラー。
パーネム・ノストルム・スペルスプスタンティアーレム・ダー・ノービース・ホディエー、
エト・ディーミッテ・ノービース・デービタ・ノストラ、
スィークト・エト・ノース・ディーミースィムス・デービトーリブス・ノストリース、
エト・ネー・インドゥーカース・ノース・イン・テンプターティオーネム、
セド・リーベラー・ノース・アー・マロー。)


自分はキリスト教信者でも何でもありませんのであしからず。宗教学には興味はありますけどね。
19 . February
アルビノ(albino)とは、メラニンの生合成に係わる遺伝情報の欠損により 先天的にメラニンが欠乏する遺伝子疾患、ならびにその症状を伴う個体のことである。前者を先天性白皮症(-はくひしょう)・先天性色素欠乏症・白子症など、後者を白化個体・白子(しらこ・しろこ)などとも呼ぶ。またアルビノの個体を生じることを白化(はくか・はっか)という。
先天的なメラニンの欠乏により体毛や皮膚は白く、瞳孔は毛細血管の透過により赤色を呈する。
ほとんどの場合、視覚的な障害を伴い、日光(特に紫外線)による皮膚の損傷や皮膚がんのリスクが非常に高い。
アルビノは皮膚や視覚に障害が伴っているため、次のような症状を先天的にきたす。
  • 本来メラニン色素を有するはずの組織(体毛・皮膚・虹彩・脈絡膜・網膜色素上皮)にメラニン色素欠乏をきたす。
    • 体毛はメラニンの量によりプラチナブロンド(白金)からブロンド(金髪)である。メラニンがほとんどない場合、日光により黄変していることもある。
    • 皮膚は乳白色である。あるいは皮下の血液により薄紅色を呈する。
    • 虹彩はメラニンの量により無色・淡青色・淡褐色などである。メラニンのない場合は無色半透明で、眼底の血液の色が透け、瞳孔とともに淡紅色となる。
    • 脈絡膜のメラニン欠乏により、瞳孔は眼底部の血管の色が透け、淡紅色となる。脈絡膜に少量のメラニンを持つ場合はぶどう色となる。
  • 脈絡膜および網膜色素上皮における色素欠乏のため網膜上での光の受容が不十分で、視力が弱い。眼球振盪・斜視・乱視・近視・遠視を伴うこともある。一般に、色素量の多い人ほど視覚症状は軽い。
  • 虹彩に色素がない(少ない)ため遮光性が不十分で、光を非常に眩しく感じる(羞明という)。
  • 皮膚で紫外線を遮断できず、紫外線に対する耐性が極めて低い。

最近、夢小説系などでやたらに「白い肌と赤い眼」というアルビノの特徴をもった主人公が多いこと多いこと。
アルビノの人は日光を浴びたら皮膚の調子が悪くなるから、外に出ることもままならないのに。とふと思って調べました。
以前のテレビで、アルビノ(というよりも先天性白皮症)の子を取り扱っていたことがあったんですけど、彼らが外に出るときは全身重々しいスーツを付けて日の光を完全にシャットダウンし、昼間外で遊べるのは雨の日だけ、というものでした。そのスーツは確かNASAに作ってもらったものだったような記憶が。間違っていたら申し訳ない。一口に遺伝子疾患といってもその種類はいろいろあるけど、これは世間でも比較的よく知られた遺伝子疾患だと思います。
ちなみにこのアルビノは人間以外でも起こるらしいです。蛇とか兎とか。植物にも起こるらしいですが、いずれにしても生存確率は低いみたいです。(動物は保護色が欠乏しているため擬態ができず、植物ではクロロフィルが存在しないために光合成ができなくなって枯死するらしい)
人間は歴史上もっとも知能の発達した生き物ですから、画期的な方法を発見して、少しでもアルビノの方々が苦労されぬようになればいいのにと思いますね。
15 . February

「かなりや」  西條八十

唄(うた)を忘れた金糸雀(かなりや)は
後ろの山に棄てましょか
いえ いえ それはなりませぬ

唄を忘れた金糸雀は
背戸(せど)の小藪(こやぶ)に埋(い)けましょか
いえ いえ それはなりませぬ

唄を忘れた金糸雀は
柳の鞭でぶちましょか
いえ いえ それはかわいそう

唄を忘れた金糸雀は 象牙の船に 金の櫂(かい)
月夜の海に浮かべれば 忘れた唄をおもいだす



「海のかなりや」  西條八十

唄(うた)を忘れた
金糸雀(かなりや)は、
赤い緒紐(おひも)で
くるくると
縛(いまし)められて
砂の上。

かはいさう(かわいそう)にと
妹が
涙ぐみつ、
解いてやる、
夕顔いろの
指さきに
短い海の
日がくれる


個人的には海のかなりやの方が好き。
そもそもかなりやと、海のかなりやは同種だと思ってた人間ですから。
gooで見掛けたかなりやの解釈がとても素敵でしたので、興味がある方はぜひ。

西條八十が好きすぎます。好きすぎて詩集買いました。ホクホクです。
自分が何よりも尊敬するかたです。この人の詩は音が綺麗。日本人て五・七・五の音が一番心地いいらしいですね。私は典型的な五七五大好き人間なので、梯子とか蝶とか、好きな詩をあげたらキリがなくなります。
本当は全集が欲しいんですが五万は痛いです。五万あったら先に写真屋買います。もうすぐ割引効かなくなるので。

15 . February
セレンディピティ(serendipity

何かを探しているときに、本来探しているものとは違う、価値ある何かを発見する能力、才能に対して使われる言葉である。セレンディピティという言葉は造語であり、ホレス・ウォルポールが子供のときに読んだ『セレンディップの三人の王子』という童話に因んでいる。ちなみにセレンディップとは現在のスリランカのことを指している。
なお、セレンディピティとは「幸運」という現象に対して使われるのではなく、幸運を起こす「能力」に対して使われる言葉である。幸運自体にセレンディピティという言葉を使うのは誤用である。
日本語での公的な和訳は現在制定されていないが、偶察力と訳されることがある。


あれぇ。セレンディピティの日本語訳って「無意識選択能力」だとばかり思ってました。そうしたらちゃんとした日本語訳ってないんですね。でも公的な日本語訳がないってことは、自分のわかりやすいように覚えて構わないということですよね。きっとそうだ。そうに違いない。
セレンディピティは本当に偶然の発見をしたときのみ使われるものなんでしょうが、どうも言葉の響きがいいためか誤解されて使われることが多いみたいですね。そりゃあどうしてこんな発見をしたんですか?って問われたら、「偶然です」というよりは、周りの物事や人との関わりを説明したほうが格好いいしなぁ。メディアが跋扈するこのご時世じゃ、どこで情報が歪められてるかわかったものじゃありませんしね。
ちなみにserendipityの反義語はJapanityというらしいです。意味は、「必然的な発見」というそうな。
ジャパニティー?なんという皮肉でしょう(笑)
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